加治正靖の宣言ストーリー

はじめまして!
「きさくで、よく話を聴いてくれる方だなぁ」と言われる、とっても丁寧な、お家の塗装屋さんの加治正靖(かじまさのぶ)です

「一番よかったことは、加治さんと出会ったことですよ」とお客さんが“笑顔”になることが、私の喜びです。そのために、「仕事を見ると、安心感が生まれますね」と言われるように、心がけています。

「父さんと弟は楽しそうでいいなぁ」

私は父をとても尊敬しています。

私は幼いころ、広島に住んでいました。その時、父は、造船所で働いていました。その後、進物とか贈答品の個人店を始めました。

その後、広島から山口県宇部市に引っ越しました。宇部では自分の車の上にスピーカーをつけて、宣伝カーの仕事をしていました。そのあとは、私が成人するまで、父がどんな仕事をしていたのかよくわかりませんでした。

父は、怒ったときは怖かったです。基本的に優しく、いつもまわりを楽しませようとするタイプでした。そして常に堂々としていました。

私が幼稚園のとき、家族であるパーティに参加しました。そこでは、家族ごとに前に出て、カラオケを歌うことになっていました。私はすごく恥ずかしがり屋だったので、歌う事を拒んでいました。

ところが、父は、弟と一緒に楽しそうに歌っていました。母はそばで微笑んで見ている。私は全然歌わず、よそを向いている。心の中で思っていたこと。

「父さんと弟は楽しそうでいいなぁ。うらやましいなぁ」

小学校の運動会の時、親が走る競技がありました。大好きな父が走るので、一所懸命応援していました。すると、張り切りすぎた父が、思いっきりこけたのです。私は父の心配よりも、恥ずかしくてその場から逃げたくなりました。ところが、父は大笑いしながら、また走り出したのです。
つねにニコニコして、なにごとにも動じない。そんな父でした。

父親と一緒に

私が小学1年生になる時に、宇部市に引っ越して来ました。ところが、入学式には行けませんでした。入学式の写真には、私と母だけが右上に四角で写っています。

入学式の次の日から学校に行きました。私だけ、急に知らない教室に入って行く。一人も知っている人がいないところに行く。ものすごく不安でした。かなりの人見知りだったので、友達を作るのにとても苦労しました。

宇部に引っ越して来て、しばらく小学校の校区外に住んでいました。毎月、学校の終わりに地区別の児童会がありました。私は、どこに参加すればいいのかわからなかったのです。

とりあえず一番近い地区の児童会に参加すると、担当の先生に「君はだれ?ここは違うよ」とみんなの前で言われ、まわりから大笑いされました。

私は、みんなの前で、バカにされ恥をかいた、自分のことを否定された!と思いました。

「こんなところ、いたくない...」

それからは、地区別の児童会があるたびに、水飲み場に隠れていました。

それ以来、「恥をかきたくない」という気持ちが強くなり、特に大人の前では素を見せず、本心を言わないようになりました。

 

母は、何事にも几帳面で真面目な人でした。食事も洗濯も掃除もとても丁寧にしていました。部屋をちらかしたり、忘れ物をしたりするとよく怒られました。

私が小学校の時、一時期、店を構えて子供服を売っていました。家から離れた街の方にあったので、日曜日になると母の店に行っていました。

私は、母から「お兄ちゃんだから、弟の面倒を見なさい」と言われていました。そのため、ずっと弟と一緒にいました。

弟とデパートの屋上でショーを見たり、街の公園に行ったり、普段行かない場所に行くことが、とても楽しかったです。

でも、一番楽しかったのは、母の仕事が終わり、三人で一緒に家に帰ることでした。

「じゃあ、やめます」

小学校のとき野球をやっていたので、中学に入ると、なんとなく野球部に入りました。中学になると、先輩も先生も怖かったです。

練習のとき、グランドの外にボールが出たら1年生が探しに行くことになっていました。私と友達は、かなりの時間ボールを探しました。ところが、ボールは見つからず、疲れてちょっと休憩していました。すると、それを見た同級生が先輩に、「加治がサボっている」と告げ口したのです。

グランドに戻ったら、みんなの前で、先輩にものすごい剣幕で怒られ、殴られました。悔しくて涙が出ました。「悔しい」と同時に「みんなの前で恥ずかしい...」という気持ちでいっぱいでした。

その後、野球部は、1年生の終わりにやめました。

 

高校は、資格が取れるところがいいと思っていました。高校を卒業したら働くつもりだったからです。

そこで、工業高校と建築科と自動車工学科を受験しました。どれかに行きたかった訳ではありません。また、何かやりたい事があった訳でもありません。自動車工学科は、整備士の資格が取れる、そんな理由で受験しました。

結果、自動車工学科しか受かりませんでした。友達も行くからとりあえず行く、そんな感じで、高校に行くことにしました。

実際に高校に入ってみると、自動車の勉強だけ。まったく興味がわかない。何だろう…、とずっと思っていました。

授業も真剣に受けないでいたため、1年の終わりに先生から、親と一緒に呼ばれました。先生から「やる気あるのか?」と言われました。「どうするんだ?」と言われた瞬間、思わず、
「じゃあ、やめます」

と答えてしまったのです。目標もない、楽しいこともない、興味もない、熱中することもない。ただ流されていく。そんな自分に嫌気がさし、つい先生の言葉に対して意地になってしまったのです。

両親には申し訳ない気持ちでした。父が同席していましたが、何も言わず受け入れてくれたこと、ありがたく思いました。

学生の時の写真

「一緒にやらない?」

小学校からの友人が、中学卒業後、塗装工事の仕事をしていました。しかも独立して、楽しそう。すごく大人に見えました。そんな姿を見て、とてもうらやましかったのです。自分は、なにも熱中できるものがないなぁ...

高校をやめてしばらくして、小学校からの友人が、「塗装工事で大阪に行くけど、ついて来ない?」と声をかけてくれました。

嬉しかったです。夜も友人とずっと一緒に共同生活というのが、楽しかったです。休みの前の日は、遅くまでしゃべっていました。熱中できるものはないけど、仲間と親しくなれるというのが、嬉しかったのです。

18歳のときに、大阪から山口にみんなで帰ってきました。数年経ったとき、友人が「しばらく塗装の仕事を休止するけど、どうする?」と言われ、「じゃあ辞める」と塗装工を辞めました。

プロフィール写真

私は、そのまま仕事を探さず、フラフラしていました。それを見た父から「何もしてないんなら、明日から仕事を手伝ってくれ」と言われました。何の仕事かよくわからないまま、「別にいいよ」という感じで、父の仕事を手伝うことになりました。

当時、父は損害保険の会社を軸に、いろんな仕事をしていました。下関市出身の父は、宇部市が地元でなかったので、苦労しながらいろんな商売をしていました。

父は生まれてすぐに自分の母を亡くしました。かなり貧しかった事もあり、「家族に絶対に苦労は掛けさせない!」と頑張っていたのです。

父と一緒に仕事をするまでは、ひょうきんだけどちょっとウザったい父親と思っていました。ところが、家族の前では、いつも楽しく振る舞っていたことを知るようになりました。また、父は強い信念を持ち、常に堂々としている姿を見て、とても頼りになると思うようになりました。

いつのまにか「一番尊敬する人は父親です」と答えるようになっていたのです。

 

ところが、父の信念を持った行動を見ていると、「父のようにはなれない...」、「父から言われ事をただこなすだけで、自分は何もできていない...」と思うようになりました。もっと父にいろんな悩みを相談すればいいのに、「恥ずかしい、恥をかきたくない」と自分の本心を出せない...

そして、ただ毎日が過ぎていく。そんな自分が本当に嫌で、その状況から逃げ出したくなりました。だけど、やりたい事もないし、気まずくなりそうなので辞めたいとも言い出せない。そんな中途半端な状態が続いていました。

20代半ば、そんな毎日を忘れるために、友達とよく飲みに出ていました。そこである飲食店に通うようになりました。

その店のマスターが素敵な人でした。いつも楽しそうで、「いいねぇ」とか「すごいねぇ」とか、みんなのことを褒めていたのです。そして年上なのに腰が低い。

誰かに恥ずかしいことを指摘されたとしても、「あ、そうだよね」と受け入れる。そして、自分の恥ずかしい話なども、隠さず面白おかしく披露するので、「自分もそうなれたらなぁ」と思うようになりました。

ある時、マスターの従業員の結婚式に、私も呼ばれることになりました。マスターが仲間と余興することになり、「加治くん一緒にやらない?」と声をかけてくれたのです。

どんな余興かと思えば、女装して踊る。始めは「えっ?!」となりました。今までの私だったら、そんな恥ずかしい事はできない、と断っていました。その時は、「マスターと一緒なら、楽しいかも」と思えたのです。人生で初めての余興でした。

さらに、私の友達の結婚式にマスターも招待されました。マスターが「どうしても、加治くんと踊りたい」と言ってくれたのです。私は、その言葉が嬉しくて「いいですよ」と答えました。

その時は、ピンクレディを踊りました。前の晩遅くまで、男二人でピンクレディを練習しました。いざ本番、「やっぱり友達の前でピンクレディとか死ぬほど恥ずかしい!」と後悔し始めました。その横で、余興慣れしているはずのマスターが、緊張のあまり嗚咽しているのを見て、思わず大笑い。気がつくと、いつのまにか終わっていました。

その出来事から、恥をかきたくないという気持ちが、少しずつなくなっていきました。

また、それ以来、マスターとは、お客さんと店の人という関係から、深く付き合う友人の関係に変わったのです。マスターは、私の素の自分を出しても受け入れてくれる。私も思い切って自分を出していける。それがとても心地よかったのです。

今までは自分の本心を見せたくないと、人との関係を一歩引いていた。でも、本当はずっと、思っていたこと。

「もっと自分の素が出せたら楽なのに...」

余興写真

「おれって、ちっちゃいな...」

27歳のころ、父から「知り合いが人手を探しているので行ってこい」と言われ、中古住宅の販売会社にお世話になる事になりました。このままでは私が育たないと感じた父が、道を作ってくれたんだと思います。

そこは、中古住宅をリフォームして販売する会社でした。その会社に勤めているうちに、販売する事は苦手だなぁ、どっちかというとリフォーム工事の方が合っているよなぁと思うようになりました。

むかし塗装工をしていたことを思い出して、「そうだ、塗装の仕事ならできる!」と思ったのです。中古住宅販売の会社をやめて、塗装工の日当の仕事をするようになりました。友人達からも塗装の応援を頼まれるようになりました。

31歳のときに結婚しました。仲のよいマスターがキッカケで知り合いました。その頃は、塗装工の一人親方。日当で働いていたので収入はよくありません。いつもぎりぎりの生活です。妻は家計のためにパートに出始めました。

ある時、思うように仕事が来ない日が続き、生活費をまともに入れられないような月が何度かありました。妻は「まぁ、なんとかなるよ」と笑ってくれました。そんなある日の夜、幼い子供たちの寝顔を見ながら、ふと思いました。

「このままでいいんかな...」

かなり気持ちがへこみました。将来がものすごく不安になりました。現場に出る事で家族の為に頑張っている気になっていたけど、本当はただの自己満足じゃないか、何もしないで現状から目をそらしているだけじゃないか...と思ったとき、ふっと涙がこぼれました。

「なさけない...
親父だったらどうする?親父だったら、どうしていたんだろう?」

父なら、家族を守るために何でもするだろうなと。いつも、自分を信じて、堂々としていたよな。運動会で転んだときも、大笑いしていたよな。

 

「なんか、おれって、ちっちゃいな...」

そう自分の事を思った時、なんだか可笑しくなってきたのです。

その瞬間に、今までの自分の本当の気持ちが見えてきました。

 

小学1年生のとき、先生に「君はだれ?ここは違うよ」とみんなの前で恥をかかされてから、自分の本心を言わないようになった...

高校のとき、先生から「どうすんだ?」と言われて、変に意地になって、「やめます」と答えてしまった...

父の会社で働いていたとき、「言われたことをこなすだけで、何もできないんだけど」というひと言を言えなかった...

 

心の中で、本当の気持ちを出したら否定されるんじゃないか、バカにされるんじゃないか...

だから、恥ずかしいと思って、逃げていた。
だから、自分の本心を隠して、素をみせなかった。
だから、いつも、自分のことを信じられなかった。

そうなんです。わたしには、自分を信じることが欠けていたのです。

一番わたしが自分を信じてあげる必要があったのに...

なぜ、わたしは【信じる】を使命と掲げているのか?

この体験から、わたしは、【信じる】を使命に掲げることにしました。

【信じる】を使命と掲げることで、気持ちが前向きになりました。勇気が湧いてきました。

「よし!本当の独立をしよう!!」

その時、仕事をくれていた友人に「お世話になりました。これからは自分で仕事を請けてやっていきます」と言って、本当の意味での独立をしました。

とても清々しい気持ちでした。

勢いで独立宣言をしたため、すぐに仕事がある訳ではなかったのです。それでも「どうすればもっと早く、もっとキレイに塗れるのか」と、作業中はもちろん風呂の中でも寝る前も、とにかく考え働きました。

そのうち友人が紹介してくれた元請さんをはじめ、みんなの助けを借りて徐々に徐々に仕事が増えるようになりました。

元請さんの中で、お客さんといつも楽しそうに話している方がいました。お客さんが「よくやってくれて嬉しいです」と言うと、「職人さんが良くしてくれるので」と、自分の手柄にはせず、みんなを笑顔にしていました。まるで余興を共にしたマスターのようでした。

「なんかうらやましいなぁ」

ある時、友人の依頼で、元請として仕事をすることがありました。それまではお客さんに挨拶をする程度で、真面目に作業していれば良いと思っていました。いざ私も元請になってみると、お客さんへの営業、打ち合わせ、近隣の方への挨拶など、いろんな方と関わらなければなりません。

塗装が完成して「本当にありがとうございました」とお客さんに言われた時に、今までにない喜びがありました。今まではなるべく最小限の人との関わりで済ませたいと思っていたのに「元請としてやりたい!」と強く思うようになったのです。

その思いで、42歳の時に、今までの屋号とは別に、元請として活動できるように 「サクラ塗装」を立ち上げました。

その後、お客さんや友人の助けもあり、少しずつですが、元請の仕事も増えてきました。

 

2021年1月。営業がまだ苦手な私は、何かいい方法がないかなと模索していた時に、ある先生に出会いました。その先生の「売り込まなくていい」という考え方が私にピッタリだと思ったのです。

ただ、普段の自分の素を出してくださいと言われました。その先生のアドバイスで自分の事を書いた手作り新聞を作る事になりました。

いざ手作り新聞を配るとなると、とてつもなく恥ずかしくなりました。素を出すという事は、私が今までずっと避けてきた事です。「こんなのをお客さんに見せたら、大恥をかく」とかなり躊躇しました。でも、「なんとかなれっ!」と既存のお客さんに配ってみました。

 

その後、ビクビクしながらお客さんのところに行ってみると、こう言われました。

「こんな事をする人とは思わなかったので、親しみが持てました(笑)」
「次回も楽しみにしてますよ」

 

さらに、その時に工事中だったお客さんに配ってみると、、、

「仕事の事しか考えていない方と思っていました(笑)」
「人柄が見えて、逆に安心しました」

と言われて、お客さん自身の事をいろいろ話してくれるようになったのです。

 

正直、衝撃的でした。今まで誠実に対応する事で不安をなくせると思っていたのに、素の自分を見せたことで安心してもらえた。今まであんなに隠してきた自分の素を受け入れてくれる人達がいる。

 

ああ、自分のことを信じていいんだ。お客さんのことを信じていいんだ。

そのことに気づけた瞬間、無性に自分のことを愛おしく思えました。とても暖かい気持ちになれたのです。

やっと、自分を【信じる】ということを、強く実感できるようになりました。

あるとき、塗装工事が終わったお客さんに、なぜわたしに工事を依頼してくれたのか、聞いてみました。

「これまで、いろいろ人と接する仕事をしてきましたので、その中でも、とても誠実な方だなぁという印象を受けました」

「あのように丁寧な見積を作る加治さんの人柄を見て、この人に依頼しようと本当に思いました」

「一番よかったことは、それはもう、加治さんと出会ったことですよ」

このように言われたとき、やっとこの仕事が好きになりました。今まで熱中できる事が何もないと思っていましたが、実はもうやっていたのです。

それは、仕事を通じて、みなさんと信じ合えること。

お客さんの言葉で、自分がやってきたことが間違っていなかったと気づいたとき、本当の意味で、自分の事を信じられるようになりました。

 

「何でも聞いてくれて、誠実に対応してくれる会社があったらなぁ...」
と思っている方へ

「近所に、丁寧な仕事をしてくださる会社があったらなぁ...」

「依頼する側は、どういう人が来るのかが一番気になりますねぇ…」

「安心感のある仕事をしてくれる会社が来てくれたらなぁ…」

このような方に、この物語を読んでもらいたいと思っています。そして、「きさくで、よく話を聴いてくれる方だなぁ」と感じていただけたら、とてもうれしいです。

そのためにも、【信じる】を使命に掲げて行動していきます。

 

以前は、友人や仕事関係の人とよく飲みに出ていました。今は、月に2、3回妻と二人で飲みに行くようになりました。そこで、思い切って、私の事をどう思っているのか?聞いてみました。

「あんたは、やねこいとこがあるけど...

わたしの親とも仲良く付き合ってくれている。
子どもの面倒もよく見てくれる。
なにより、やさしい...」

商売が下手で、妻には未だに苦労ばかりかけています。それでも私の事を信じてくれて、ずっと一緒にいてくれる妻に、「ありがたいなぁ」とあらためて思いました。

 

信じてもらえることが、こんなにもうれしいとは...

最後に、
お父さんとお母さんへ

お父さんの信念の強さ
いつも憧れていました。
私もやっと【信じる】ことを手に入れました。

お母さん
お客さんから「ものすごく丁寧な仕事しますね」と言われます。
お母さんの真面目で几帳面な所を受け継いだおかげです。

まだまだ健康に気をつけて、元気な姿見せてください。

加治 正清
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